Tuesday 7 December 2010

ランニング

スニーカーの紐をきつく締め
裏口から家を出る
足を慣らすように
小刻みに動かし
さあ、
走り出す

いつもは車で通り過ぎる道を
無防備な軽装で行くのが気恥ずかしく
ひとつにまとめた髪に
野球帽を低くかぶる

たった数百メートルで
呼吸が荒くなる
息を整えること
リズム正しく走ること
そのことだけで頭をいっぱいにする

しばらくはゆるい坂を上り
それが平らになった先を走り続けると
目標に決めた角に出て
今日のところは
Uターンとなる
顔を上げ周りを見回し
誰かに見られていないか確かめる

そして帰りは
緩やかな下り坂を走る
呼吸は安定し
足は軽く、速くなる
さっきまでのためらいが消えたように
しっかりと足を踏みしめて
まるでマラソン走者のように
家までの昇り坂に
ラストスパートをかける

夏が去った朝

一夜明けると
夏は完全に消え去っていた
冷たい風が
セーターの肩を吹き抜ける
日が短くなり
寂しさのます季節だというのに
私の足取りは
妙に軽くなる

わざとコートを家に置いたまま
外出する
まだ木々は葉で覆われているのに
まだプランターの花は赤く咲いているというのに
今朝
私の吐く息は白い

立ち止まり伸びをして
ちょっと次の角まで走ってやろうかと
大それたことを思いつく

明日からまた暖かい日が続いたとしても
確実にキリキリと
秋のねじは巻き込まれていくだろう
そうなると今度こそ
厚着せずには外出できなくなるだろう

それまでのつかの間
上着を着ずに家を出る
足にはスニーカー
誰も見ていないこの道を
どんどん走ってやろう
腕をぐるぐる回して
飛び跳ねてやろう

Wednesday 1 December 2010

ピクルス作り

秋分の日に
ピクルスを作る
今年の収穫の
豆を1キロ
りんご1キロ
たまねぎ900g
ラジオもつけず台所に立ち
包丁で黙々と切り続ける

黒く大きい鍋にそれを入れると
にんにく
しょうが
辛子
黒砂糖
レーズンを放り込む
そこにブレンダーの先端を突っ込み
スイッチを入れる
ブーンと低い音を大げさに立てて
鋭い刃が
すべてを切り刻む

このぬかるみの中から
ブレンダーをぐいと引き抜いては
また音を大きく立てて深く突っ込み
さらに小さく切り刻んでいく
茶色い飛沫があちこちに飛び散るのも気にせず
もっと細かく切り刻み続ける

そして酢を3本注ぐ
家の中にすっぱい匂いが立ち込める
鍋を火にかけぐつぐつと煮る
3時間半ぐつぐつと
半日かけて煮詰めていく

秋分の日に私は
魔女のように台所にこもる
木のさじでぐるぐると
大きな鍋をかき回し続ける
赤いりんごも緑の豆も
すべて黒い混沌の中に消えていく
呪文も唱えず
台所に立ち続ける

醜い果物

醜い果物を考える
ざくろ
いちじく
パッションフルーツ

醜い野菜も挙げてみる
ゴーヤ
曲がったきゅうり
里芋 長芋
かぼちゃ

美しいものも考える
イチゴ りんご レタス トマト
スーパーに並んでる姿や
雑誌の広告の
水滴ののったみずみずしい写真を思い浮かべる

醜いと思うものが
嫌いなわけでは決して無い
それどころか
ざくろや無花果に心を惹かれる

気がつくと
掌の温度や重みや
口の中に広がる複雑な味の
記憶をたどリはじめていた

醜いという言葉がゆるくなる
意味がほろほろとほつれていく
形容されるものが
形容詞をあやふやにする

次は
醜い花を挙げてみようか
醜い木を
醜い色を
醜い季節を

Wednesday 24 November 2010

喧嘩のあと

「さあね」と
大声で答えたあとは
また髭剃りの音に変わる
あきらめて寝室のドアを閉め
台所に向かう

今から本当に出て行くのだろうか
今夜は戻ってこないのか
行く先はどこで
数日経てば戻ってくるのだろうか

廊下に置かれたスポーツバッグ
これだけなら
そう長くも家を空けられないだろう
それともこの中には
通帳やらパスポートやら
貴重品は全部入っていて
残された服やCDは
もうどうでもいいのだろうか

大切な洋服もCDも
また買いなおせばいい
何年一緒に暮らそうと
そんなふうに
ふと席を立って
簡単に
立ち去っていけるものなのだ

そんなことを考えながら
乾燥わかめの封を切る
最近繊維不足なので
多めに戻しシラスと混ぜて
甘くした酢をかける

気がつくと
髭剃りの音はとっくにやんでいた
手を止め
静かな家の中で
じっと耳を澄ます

Wednesday 3 November 2010

春を祈る

朝カーテンの向こうから
薄明かりが射していることに気づく
窓を開けると
空気が少しいいにおいがした

まだ弱々しい欧州の光に誘われて
長靴を履き外にでる
りんごのつぼみは膨らんでいないものの
足元に
水仙の芽を見つける

そこにはまだ何一つ色が無い
伸びた芝は泥にまみれ
長靴の下で
ぐちゃぐちゃと醜い音を立てる
畑は雑草に覆われ
収穫されなかったにんじんが
泥の中で腐り始めている

そのとき草の中に
小さく赤いものを見つける
腰をかがめ覗き込むと
てんとう虫だった

思わず手を伸ばしかけ
また引っ込める
この寒さの中で本当に生きているのだろうかと
急に怖くなる

「飛びますように」
そう短くつぶやく
まるでその薄い翼が
春を連れてくることができるかのように
ひっそりと祈る
泥の中に膝をつき
同じ言葉を何度も真摯に繰り返す

50Kクロスカントリースキー

皆が滑り抜けて行ったあとをたどり
木立の中を行く
リズムを取って息をしながら
白い坂を上る

下りではカーブに向かう
体重を移動させ
スキーを踏みしめるようにして
曲がりきる

白い静寂の向こうから
遠くの歓声が聞こえてくる
どこかの国の旗が振られている
先頭がゴールして
もうどれくらい経つのだろうか
それでも観衆は
まだレースを見守っている
最後の選手が戻ってくるまで
手に握ったカラフルな旗を振り
ベルを鳴らして
声を上げる

あと500メートル
重い足を一歩ずつ持ち上げ
雪に突き刺したスティックに体重をかけ
ゴールに向かう

肺はパンク寸前
心臓を極限まで打たせながら
最後のスキーヤーは
フィニッシュラインを切る
顔をぐちゃぐちゃにして
両手を挙げて
レースを終える

雪の中に倒れこみながら
50キロ前を思い出している
カウベルはなり続く
白い風景がカラフルに変わる

競泳の朝

3月の日曜の早朝
フロンドガラスの凍った車の
エンジンをかける

まだ対向車の一台も無いまっさらな道を
低い光を浴びながら
遠くまで車を走らせる

固く張りついた草原の霜は
弱々しい太陽の光を浴び
しっとりと薄いもやを立ち上げる
サングラスをしっかりかけ
東に向かい
ハンドルを固く握る

隣に座る娘は
水着とゴーグルの入ったかばんをひざに抱き
遠くの丘を見つめている

あと10分で
競技会のプールに着く

プールサイドまではついて行こう
そこで私はバイバイと言い
水際を離れ
観衆の中に席を取る

たった一人であなたは飛び込み台に向かう
キャップを調節しゴーグルを確かめる
体をかがめ
腕をまっすぐに伸ばし
スタートの合図に耳をすませる

でもまだ今は
ラジオから低く流れるポップソングを聴きながら
外の景色を見つめている
ぼんやりと窓に頭をもたれされ
かばんの取っ手をもてあそんでいる

あなたは大丈夫

機は熟し
しっかりと準備ができていることを
体の隅々まで感じながら
身動きせず
朝の光景を見つめている

Monday 1 November 2010

G先生の自殺

G先生が自殺した翌日
子供たちは学校に行く
何度も親を振り返り
手を振って教室に消えていく


G先生が自殺した翌日
親たちは子供を学校に連れてくる
笑って子供を見送っては
校門でひそひそと囁きあう


G先生が自殺した翌日
先生たちは早く出勤する
職員室での会合の後
誰もいない教室で
教材をもう一度確かめる


出席が取られ
給食費が集められる
教科書を広げ誰かがそれを読み始めると
教室は静かになる


昨日まで普通だったものを
珍しいものを眺めるように
一つ一つ指で取り上げては
積み木を積んでいく
退屈で整然とした詳細を
慣れない手つきで不器用に集めなおす


休み時間が来ると
子供たちはいつものようにざわざわと
話をしながら校庭に出る
誰かが倒した椅子がひとつ
床に転がっている


子供達がいなくなると
教頭先生は数秒壁に眼をやる
そしてほっとしたように
歩いて
椅子を拾い上げる


暗く暗く暗く
冷たい場所では
G先生が梁からぶら下がっている
誰もまだ知らない数時間
車の音も
庭の鳥の声も届かない
空気のしんとした闇の中で
静かに
静かに
静かに
先生は揺れている


Tuesday 19 October 2010

詩人のアドバイス

常套句を避けよと詩人は言った
人が共用する言葉の中に
新しい言葉を作り出せと
誰も言わなかった言葉を
万人に向かって堂々と語り
それを再び分かち合えと

薄闇の中を目を凝らしながら歩き回り
魂の一片を見つけたのなら
それを乗せる言葉を探し当て
遠くに飛ばそう
舌の先で
空気の味を感じるように
すくい上げ
文字にする
そしてそれを読み上げる
その音に耳を澄ます

それはささやきとなるかもしれない
さざ波となってささやかに遠くまで広がるかもしれない
誰かが大きな声で叫び
ある者は耳をふさぎ
ある者は逃げ出すかもしれない
その言葉の結晶を
幾人かはつかむことができるだろう
暗く寒い夜に
一人っきりの場所でそっと手を開いて
それが溶け出すのを大切に待つだろう

そんなふうに詩を書きたいと願う
そんなふうに言葉を発したいと思う
声を探し続ける
堂々と
いつまでも
いつまでも
言葉を探し続ける

Thursday 14 October 2010

冬の記憶

暖炉の薪の
ぱちぱち立てる火の粉を見る
そして手をかざして
においをかぐ
冬の匂いだ

記憶の後ろのほうから
何かをひっぱり出せそうな匂い
森の中を歩く
深々した枯葉の中に
皮のブーツを沈ませて
滑らないようにリズムよく
呼吸を整えて歩く
頭上の木々は大半の葉を落としたものの
暑く低い雲の広がった空からの
太陽の光は
もう地面には届かない

瓦葺の屋根が自慢の
築四百年のパブ
控えめなクリスマスの飾りを見ながら
古いテーブルに座り
酒をすする
記憶の中のワインは
なぜかいつも温かく甘い
かすかに漂うもみの木の匂いが
デジャブのように
今年と去年をつなぐ

コートを着て
マフラーをしかり巻いて
ドアノブに手を掛け
覚悟を決めるように寒空の下に踏み出す
空気の澄み切った冷たさが
肺にしみこむ

冬の匂いがつながる
それはまたもっと古いものにつながっている
たどる先にあるものは他愛ない情景だと
わかってはいるものの
それを頭の隅で
いつまでもたどり続ける

ハロウィーン

手をつなぐには大きくなりすぎて
でも一人で行くには小さすぎる
兄と妹は
並んで家を出る

手には懐中電灯と
お菓子を入れるかごを下げ
ドラキュラのコートと
おどろおどろしい入れ歯をつけ
初めて二人だけで
暗がりの中を出かける

「車に気をつけて」に
生返事を返し
近所の家まで
話をしながら消えていく
兄は前を見ながら
妹は私を振り返りながら
ハロウィーンの闇の中に
吸い込まれていく

10分後には私は時計をみあげるだろう
そのあと1分ごとに時間を気にしては
窓から外を見るだろう

子供たちは早足で帰ってくる
寒さで頬を赤くし
冷たい手に提げた戦勝品を振り回し
誇らしげに大きく足音を響かせて
このドライブにもどってくるだろう

Wednesday 13 October 2010

心を離す

話に相槌を打っても
聞いていないのだとわかる
そのことはとがめるでもなく
音もなく息をつく

私たちは少しずつ
生活に侵食される
そうして少しずつ
お互いから遠ざかる

何かをしてつなぎとめなければ
ばらばらにこぼれ落ちてしまうのに
私たちは手をこまねいて
何もしようとしない

私たちの間の細い糸を思う
あなたを行かせようか
このまま自由に
心を宙に浮かせようか

それでも私たちは
つながっているだろうと思いあたる
そのことを嬉しく思わないわけではないのに
私は少し
途方にくれる

日本を思う

重く暗いイギリスの朝
目覚ましを止めたあと
生暖かいベッドの中で
のどの奥に冷たい空気を感じる
雨の音を聞きながら
混乱が醒めるのを待つ

昨日の夜を思い出す
これといった必要も無いのに
長々とコンピューターの前に座り
日本からのメールを待った
そしてあきらめかけて寝床に入ったものの
電気を消せなくて
本を読んだのだった

日本ではもう
1日の大半は過ぎてしまい
人々は帰宅のことでも考えているのか
今夜は誰とどこで飲もうか
それともまっすぐ家に向かうかと

メールは来ているのだろうか

私の一日はぐずぐずと始まる
自動運転に切り替えて
エネルギーを目の前の仕事だけに集中して
今日一日分の
家族全員のねじを巻く

家に人がいなくなると
細々と簡単な朝食を済ます

日本からのメールは来ているだろうか

コンピューターが息を吹き返すのを待ちながら
昨日と今日をつなげる作業をする

日本の秋の空が高いことを
突然思い出した

Tuesday 22 June 2010

空気の重い日曜の朝に
遅く目を覚ます
風のない秋のどよんとした空
普段の日曜の普段の営みは
透明な重いフィルムのむこうにあるかのように
私のところまでは届いてこない

妙な静けさの中を
水の中を歩くような足取りで
庭に出る
そこにはまだ
夏の名残の野菜や果実が
色鮮やかに収穫を待っているのに驚く

もう秋はしっかりと
この地を捉えてしまった。
夏の記憶など許さずに
季節のねじが
しっかりと巻き込まれた

もうすぐ光が弱くなり
風と雨がやってくる

それまでのつかの間の静けさの中を
そろそろと歩く
走って追いかけてでも止めてしまいたいものを
手をこまね
なすすべもなく見送る

Saturday 15 May 2010

手をつなぐ

街頭の明るい通りに出ると
あなたはさりげなく手を振りほどいた
つながっていた温かさを失い
私の手は心細く宙を泳ぐ

食卓の上におかれた
今では硬く節くれだった手を見る
この手の温度と
その柔らかさを知っていたことも
あったのだなと驚く
そっけなく目をそらし
食事を続ける

今日並んで歩くとき
娘が手を握らせてくれた
やわらかくいとしいその手は
今となっては唯一
私が触れることができる手

白く温かく今でも解けてなくなりそうで
固く握ったものか
そっと離したものか
途方にくれる

人は簡単には
手を握らせてくれない

手をつなげば心がつながるというわけでもなく
触れる表面が
寂しくざらっと感じることもあるというのに

それでもどうして人は
手をつなごうとするのだろう

耐えかねて
娘の手に唇を当てる
彼女は手を引くこともなく
ただされるままに
私に手をゆだねている

Thursday 11 March 2010

木のトンネル

氷の上で滑るのを気にしながら
この道を走った
道路を覆い被る枯れ木の枝を見て
遠い夏のことを考えた


初夏の柔らかい光の中
またその道を走る
陽は低く
光と影の強いコントラストのせいで
私は何も見えないまま
車を走らせる

ああ
サングラスをはずす
リューマチで曲がった指を伸ばす巨人のような
あの枯れた大木たちは
今では緑に覆われ
私をつかの間光から守る

葉のひさしは厚く
木漏れ日は目を射ることなく
ただ何百もの
微妙に揺れる緑の光となる

この木のトンネルを
抜けてしまいたくはないのだが
徐行もできないほどに
私の心は研ぎ澄まされている

光と影の混じるこのトンネルを
このままスピードを出して
走っていこう
この先で待ち構える強い夏の光を
受け止めることはできるだろう

野の花


野に咲く花を摘んで
花瓶に飾る
見飽きた食卓の
そこだけが光を帯びる

野に咲く花ならば
そのまま咲かせておけばいいものを

季節の盛りの野の花は
誇らしく毅然と
完璧な姿を見せる
顔を太陽に向け
叫びも要求もせず
ただ咲き誇る

何十と咲き乱れるそのうちの
開花しきらない数本を
丁寧に摘む

選ばれた花は自慢げに
暖かい部屋で大きく花開き
芳香を放つ

けれども翌日には野の花は
少しだけ生気を失っている
かすかにわからないくらいに
もう腐敗は始まっている
水を替えても薬を入れても
時間はさらにスピードを上げる

家人が消えた夜の台所で
暗い部屋の中に浮かぶ花を見ながら
遠くの野原を思う
手折らなかった花は
今朝も光に顔を向け
咲いているのだろう

時間はゆっくりと進み
今日は一枚明日は二枚と
完璧なままに花弁を失い
種を膨らませていくのだろう

そして地に落ちた種は
あるものは腐り
あるものは食べられ
あるものは芽を出すのだろう

それでも食卓の花は
首を伸ばし咲き続ける
あと一日
あと一日と
そして食卓に光を集め続ける

Monday 1 February 2010

八百津橋

ことことことこと単線に揺られて
祖母の家に向かった
大阪から新幹線に乗り
名古屋駅からは何度も乗り換えて
電車の通るその一番先まで行った

大きなかばんを下げた母と
その半分の背丈の私は
言葉も交わさず駅からの夕暮れ道を歩く
切り立った崖を右手に
木曽川を左に
道端には祠があったただろうか
一番星が出ていただろうか
二人の足がひと足ごとに
川の向こうを手繰り寄せながら進む

そして八百津橋に出る
渡ると中ほどでかすかに揺れた
欄干から見下ろす川は
暗く濃く深く
魅入られたように足を止めて
速い流れを凝視した

橋の上の空気はひんやりと澄み
乗り物酔いはすっかり消え
頭がしんと川と同じくらい冷たく冴えきった

橋を渡ると町があった
下駄屋と菓子屋と旅館を過ぎ
右に曲がると祖母の家だ

母を残し小走りにそこに向かう
祖母に預けらたままの妹は
まだ起きているだろうか
もう寝巻きに着替えて
布団の中で待っているだろうか
薄暗い部屋で目をこらし私の足音に耳をすませているだろうか

Monday 18 January 2010

ボブ・ディラン

微笑まないユダヤ人
神をチャネルする
それほどの才能のあることの
それほどの前が見れることの
責任をあなたは負わない

逃げよ
つかまらず
ただ自由であることを証明するだけのために

自分の声で自分の歌を歌い続けるために
自分の歌を自分のものとし続けるために

愛を歌わず
反戦を掲げず
時代を代弁せず

歌わないために
笑わないために
語らないために

走り続けよ
評論家もファンも
誰も追いつけないスピードで

変わり続けよ
批判され続けよ
失望させ続けよ
裏切り続けよ

あなたが潔く捨てていくものを
振り返らずに
踏みにじっていくものを
拾い上げることで
私たちは魂の枷を少しだけゆるめる

Friday 15 January 2010

墓地

あの子のお墓は
横須賀の見晴らしの良い場所にあるらしい
整備された明るい墓地は
外人墓地のように
広々としているらしい

芝生は手入れが行き届き
水汲み場はすぐ隣
ずらりと並ぶお墓の列の
その一番端にあり
廻りも気がねしなくていいらしい

あの子を思う人たちが
あの子のために
墓石が汚れたらいつでも掃除が出来るように
良い場所を選んだんだね
暗く寂しくならないように
海の見渡せる場所で
風の歌を聴きながら
いつまでも緑に囲まれていられるように

それでもそんなところに
あの子はいなければいいと思う
小さく区分された石の下などではなく
海では魚となり
空ではツバメとなり
木々の間を渡っていく風となり
街と一緒に
人ごみと一緒に
あの子は自由に飛び跳ねていればいいと思う

その丘の上の墓地に行こうか
花も持たず線香も持たず
「あんたの人生、こんなちっぽけな石の下に納まってるよ」
と冗談めかして話しかけて
あの子が面白がって笑っているのを聞くために

Monday 4 January 2010

トイレの床を拭く

何かをすべきかもしれないが
足が動かない
力が萎えているのだろう

夜中に
トイレの床にしゃがんで
ひざをついて掃除する
ごしごしと
何度も何度も
泡を立てて雑巾で床を拭く

何を望まないのかを
はっきり知っているのなら
何を望むかを
知っているのか

悲しくはないと思っていたが
このくらいはへっちゃらだと
涼しい顔でいたのだが

優しい言葉を使う人を思う
遠い場所の
遠い時間のその人は
本当に存在するのだろうかと
トイレの床に座り込んで
そこまでの距離に
心をくじかれる

立ち上がり雑巾を捨て
何度も何度も
石鹸で手を洗う
何度も何度も
繰り返す

猫を外に出し
戸締りをして
風呂場と台所の電気を消す

立ち上がれるだけの力があれば
寝床にもぐる気持ちがあれば
また明日もやっていけることを
ぽつりと
思い出す